背骨の異常について(無料記事)

公開日:2022-10-1 / 更新日:2022-10-1
表示期限:2023年10月1日

背骨に手で触れて違和感を感じればそれが体の問題点です。
はっきりといって正常か異常かの判断はある程度の経験が必要です。最近は、経験なしでいきなり一流になれるみたいな謳い文句を見かけますが、そういうのは詐欺といってしまっていいでしょうね。例えば、スポーツで考えてみてください。

「試合経験なしでいきなり一流の選手になれる!」

なんて事を言われてその気になれるなんていうのはおかしな話です。

その経験を積むのにもっとも有効なのは、健全で元気な人と、体の調子が悪い人を比べてみることです。
ただ、体の悪い人に触れる機会は山のようにあるのですが、元気な人に接する機会がないのが悩みどころです。知人や友人に元気な人がいるのであれば、お願いして背骨の様子を観察させてもらうとよいでしょう。

背骨にはそれぞれ特徴があって、存在感のある骨とない骨、自己主張の強い骨と弱い骨があります。
胸椎1,2番は手で触れるとその存在はとてもわかりやすいのですが、胸椎3番は存在感をあまり感じることはありません。ただ、だからといって役割がないわけでなく胸椎1,2番が健全に機能するためには胸椎3番が必ず必要です。だから、胸椎1か2番に異常が起こると3番にもなにかしらの変化がみられます。

胃袋に関わる胸椎6番は、食べ過ぎたら胸椎6番が飛びだしてねじれてきます。
これのひどいのが寝違えというものです。寝違いは変な姿勢をしていておこるのではなく胃が不調を起こして起こるものです。寝ている時に起こるのは、おそらく寝ている時が胃の働きがもっとも高まるからでしょう。

借金で首が回らないという言葉があります。
れは胸椎6番に問題が起こっている様子を表しています。胸椎6番は首を左右に動かす時に大切な役割を果たしているので、心配しすぎて食事が食べれなくなると首がうまく回らなくなるのです。

こういう事がわかっていると寝違えた時や心配で首が動かしにくくなった時にどうすればよいかわかるようになります。答えは、食事を控えて胃を休めるという事です。食べなければ元気がでないといって無理矢理食べて胃に負担をかけているといつまで経っても、胃が正常な状態に戻せなくなるのです。

また、ぎっくり腰というのは心臓の問題です。
心臓の動きに不都合がでたときに腰椎3番に力を込めて心臓がとまらないようにするために起こるものです。だから、腰を痛めたらしばらくおとなしく寝ていればよいのです。ところが、ほとんどの人が急いで痛みを取らなくてはいけないと考えて病院に駆け込んでいます。しかし、その痛みをとるということは心臓の働きを弱めるという事だという事です。心臓がうまく動かせなくなった時の緊急避難として腰椎3番を緊張させて強引に心臓を動かしているのです。この場合、変に痛みをとってしまうと心臓が止まってしまうことすら起こっても不思議はありません。

寝違えもぎっくり腰もたいていはただの不摂生です。
胃が正常に働かなくなるまで、心臓の鼓動に不都合が起こるまでずっと不摂生を蓄積してきたという事です。
寝違えもぎっくり腰もある日突然悪くなったとほとんどの人が考えるようですが、

「私は何にも悪くないけど、首や腰が突然痛くなった。」

という事は絶対に起こりません。

整体を行う時は、こういう事をふまえてどうして胃に負担がかかっているのか?
それともどうして心臓に不都合がでているのかを読み解いてゆかねばいけません。仕事が忙しかったのか?それとも心配事があったのか?体の不調を薬物で誤魔化していたのか?生まれつき体に問題があったのではないか?事情はひとそれぞれですから、必要であれば事情をきいて、どのようにしてゆくのがよいのかアドバイスをしなくてはいけません。

整体は、体に無理や無茶をさせるためのものではありません。
このことを勘違いしている人があまりにも多いのですね。

「痛みをとるというのと、治すというのは意味がまったく違う。」

という事です。
そして整体をするというのは、その相手を元気な生活がおくれるようにナビゲートするという事であるのを忘れてはいけません。

ちなみに、最近、よくいわれるようになった自律神経失調症はちょっと複雑です。
問題の起こっている骨は頸椎6,7番、胸椎1、2,3番、腰椎1,2番だ、仙椎1,2、尾骨と考えてよいでしょうかね。ただ、正直いって自律神経失調症というのはそれを指す言葉の範囲が広すぎて、ちゃんとした説明をするのは不可能です。北海道と、東京と、沖縄をまとめて日本ですといっているような話なのです。気候も人柄も性質もまったく違うのに全部ひっくるめて1つの言葉として表現するのは横着な話です。結局、医学者、医師たちが理解できないもの、わからないものをまとめて自律神経失調症といっているだけで、言っている当人たちはそれが何かをわかっていないというとても困った病名、言葉です。